小倉まちじゅうモール

小倉まちなかコラム

江戸時代から続く信頼と実績。まちに愛されてきた化粧品専門店の思い【化粧屋いざわ】

商店街の魅力といえば、それぞれの専門店がその道のプロとしての豊富な知識を持っていること、そして店の人とお客との心が通うコミュニケーションで、安心と満足を感じられるお買い物ができることではないでしょうか。 魚町一丁目で古くから化粧品専門店を営む「化粧屋いざわ」も、そんなお買い物ができる店として長く愛され続けています。

「笑顔に勝る化粧なし」

化粧屋いざわがこの地で店を開いたのはなんと1783年。かんざしやおしろい、紅などを扱う、女性のための商品を扱う卸問屋として江戸時代に創業した老舗です。店の奥に飾られている古い看板やかんざしなどの調度品が、歴史の深さを感じさせます。

現在の店主・井澤元博さんはこの店の9代目。祖父の代に小売店へと転じ、父母の時代はハンドバッグなども販売していました。その頃は「その年の流行色はいざわのショーウィンドウから」と言われるほど、流行の最先端を走っていたといいます。

現在はアルビオンや資生堂、ポール&ジョーなど人気ブランドを取り揃え、お客に寄り添った丁寧な接客でスキンケアやメイクのアドバイスもしてくれる「頼れるまちの化粧品店」として知られています。20年以上のキャリアを持つ熟練スタッフや、メーカーの美容部員を経験したスタッフなど、従業員はみな知識や経験も豊富。お目当ての商品の購入やお肌の悩み相談だけでなく、ときには世間話などもしながら、いざわでのお買い物を存分に楽しんでもらえるよう励んでいます。

「僕は常々『笑顔に勝る化粧なし』だと言っているんです。お化粧をして綺麗になって大切な人に褒められて笑顔になることもあるだろうけど、買い物をしたお客さんがニコニコして店を出ていくことがいちばん大事だと思っています。化粧品屋のオヤジ視点だと、お客様はお肌が望んだようになるのがいちばん嬉しいのだろうけれど、いざわに来ること自体が楽しくて笑顔になってくれるところを見たいんです。それができるかどうかはスタッフの腕にかかっているし、その価値観をスタッフみんなが共有してくれています」 その思いがお客にも届いているのでしょう。高校生から80代まで、幅広い年齢層のお客が化粧屋いざわを訪れています。

後を継ぐつもりはなく「逃げ回ってきた」はずなのに

子どもの頃の井澤さんは店に来る大工さんの仕事を見るのが好きで、自分で何かをつくることに熱中していたと言います。ガラクタをつくったり、小学生の頃からは週末ごとに焼き菓子を焼いたり。小学生の高学年からはカーデザイナーに憧れていたといいます。

「女性向けの商品を扱う実家の商売が嫌だった」という井澤さんは、大学進学でものづくりの道に進みます。デザインを学ぶうちに建築や設計に興味を持ち、東京の家具メーカーに就職。井澤さんは「とにかく家業から逃げ回っていた」と話しますが、入社から数年経った社内面談の席で、自分でも思ってもみなかった言葉が口から出たと言います。

「上司に魚町の店のことを尋ねられた時に、なぜか口から『将来は実家に帰ります』という言葉が出たんです。そんなことちっとも思っていなかったのにですよ。今でもなんでそう言ったのかわからないし、自分でも信じられないけど。口から出た以上は仕方ない、あと2年居させてくださいということで、30歳の年に小倉に帰ってくることになりました」

地元に帰り、商店街から店に足を踏み入れた時の光景から感じたことが、ものづくり好きの井澤さんがのちにこの店でやるべきことを見つける糸口となります。 「当時の店のつくりは、両サイドと中央に美容部員さんたちがいるカウンターがありました。僕が店に入ってくると、美容部員さんたちの目が一斉に僕に集まったんです。若い男が入ってきた、ということもあったんでしょうけど、これじゃ初めて来てくれるお客さんはすぐに出ていってしまう。これではいけないと直感しました」と井澤さん。

デザインや設計の知識を店づくりに生かして

化粧品業界の経験がない中、実家の店に戻った井澤さん。最初はレジ打ちをしながら、この店での自分の仕事を探すしかなかったと振り返ります。前職の家具メーカーでは、何種類もの協力工場を担当させてもらった新人時代は「いいものが出来る環境づくりが自分の仕事」だと思い、休日には、迷惑だろうとは思いつつ、居るだけで楽しい協力工場に始業から入っていた時代もあったといいます。

「売り上げも落ちていたし、馴染みのお客さんだけではダメだと感じたので、スケッチを書いたり模型を作ったりしながら、自分の経験を活かして店の改装を決行しました。ショーウィンドウをなくし、美容部員のいるメーカーごとのカウンターも片側に集め、2階の喫茶店への階段を螺旋階段にするなど、大規模な改装を行いました」

父親が記録していたデータを参考にしながら取扱メーカーを配置設計するなど、新しい店づくりには、長年蓄積されてきたデータと学生時代やサラリーマン時代の経験が生かされました。

新しいプランでの売り上げは好調で、「新参者の後継ぎでも取引先ともいい関係を築くことができた」と振り返る井澤さん。そうするうちに化粧品業界のディスカウント戦争が始まります。

「もともと小倉はドラッグストアも少なく、商店街に数店あった化粧品専門店が強い地区でした。そこにドラッグストアが魚町銀天街の近隣だけでも11店舗もできて、あっという間に全国一の激戦区になりました。まるで天国から地獄のような時期でしたね」 ドラッグストア同士の熾烈な価格競争に巻き込まれながらも、今日まで「まちの化粧品屋さん」として踏ん張ってきたいざわ。その後も取扱商品の変更に合わせて改装や品揃えの見直しなど地道な企業努力を続け、商店街に唯一残る化粧品専門店としての今日があります。

化粧品専門店としての環境づくりに徹して

▲接客には今も紙の台帳が欠かせないという
▲接客には今も紙の台帳が欠かせないという

「今も化粧品のことは従業員たちに任せていて、僕は環境づくりが自分の仕事だと思っています」と井澤さん。昔はメーカーごとにカウンターが分かれていたり、化粧品をキープする文化があったりと、お客さんが入りにくかったり、合理的じゃないこと思うことも多く、その都度改善してきたといいます。

「ドラッグストア同士の安売り戦争の流れ弾で、うちは全身血まみれ状態です。売上が落ちる度に取引先が美容部員の派遣日数を減らしていく。でもうちは従業員までなくすなんて怖くてできませんでした。だから、とにかくお金をかけずに削れそうな無理・ムラ・無駄を減らして効率を高める! でもそれだけだと気が滅入っちゃうので、試行錯誤という楽しみな開発要素も欠かせませんでした」

▲サイネージ広告も井澤さん自らがディスプレイを設置し、画像制作も行う
▲サイネージ広告も井澤さん自らがディスプレイを設置し、画像制作も行う

店ではとにかく裏方に徹している井澤さん。そのこまやかな対応のおかげで、従業員は接客業務に専念できると言います。

「昔、ある取引先が身分を明かさずに接客技術を覆面調査するということがあって、そこでうちの接客は満点を叩き出したんです。スタッフにその結果を伝えることで『慢心』を生まないかが不安でした。同時に、調査員さんは普段どんな買い物生活をしていてうちに満点を出して下さったのかと疑問を持ちました。するとスタッフも即座に同じ疑問を言ったので、『あぁ、私の感性と同じだ。それならスタッフは私と同様な感性、考え方に知識と経験が備わっている。安心してまかせよう』と、意識し始めました」

もともと、なにかあっても従業員が独自に対応し、事後報告されることが多かったそうですが、「俺でもそうしただろうね」と思えることがほとんどだったと井澤さん。「私はダメ人間なので、スタッフとすれ違いが増えたら、まず自分の『老害』を疑わないといけません」と話しますが、従業員との強い信頼関係は、30年あまりの年月をかけて井澤さんが積み重ねてきた環境づくりのたまものだと感じます。

人との関わりを考えることがおもしろい

▲「金額ではなく、来てくれたお客様みんなに還元したい」と工夫を重ねてきたスタンプカード
▲「金額ではなく、来てくれたお客様みんなに還元したい」と工夫を重ねてきたスタンプカード

継ぐつもりのなかった化粧品店の店主となった井澤さんですが、「今となっては天職だと思いますね」と微笑みます。そのモチベーションはやはり、生まれ育った小倉のまちへの愛着。

「生まれ育ったまちへの愛着なしに、まちづくりに関わる後継者はいないと思います。僕はデザインや設計、そして化粧品屋をやってきて、人と環境、人とものとの関わりを考えることがおもしろくて好きなんだろうなと思います。まちは“つくるもの”ではなく、“できていくもの”だと思うんです。できていくにはそこの人たちがちゃんと“まち”を、“人”を、知っていることが大事だと思いますね」

商店街の専門店としてのこれからを尋ねると、「僕は自分を経営者ではないと思うけれど、商売人ではあると思う」と前置きし、あるエピソードを話してくれました。

「昔、1,000円ごとに押印するスタンプカードを作った時に、高校生たちが980円くらいの口紅の前でキャッキャ言いながら楽しそうに選んでいたんですよ。でも1,000円未満だからスタンプを押してあげられない。一方で高級ブランドの6,000円の口紅を1本買う人には6個のスタンプを押す。金額しか反映していないことにずっとモヤモヤ感があって、結局、個数で押印する欄を増やしたんです。

今は、10,000円の化粧水であっても1,500円の化粧水であっても、1個買えば化粧水の枠にスタンプを押して、金額一切関係なしでスタンプの数で割引率を増やすように変更しました。コットンやLINE登録も1ポイントに加えて、できるだけお客様に還元できるように工夫しています。スタンプ割引をいつ使うかはお客様の都合次第。昔やっていたような、店都合の日程でのセールは原則止めました」

ものづくり人間として故郷に戻り、実家の化粧品店で自分ができることを探し続けてきた井澤さん。“まち”や“人”を思い、その関係性を築きながら店の歴史を繋いできた化粧屋いざわは、きっとこれからも人のあたたかみを感じる専門店として、変わらず魚町にあり続けることでしょう。

取締役宣伝部長だったコーギーのハナちゃん

最後に、「いざわ」と聞くと多くの人が思い出す、看板犬・コーギーのハナちゃんのことを尋ねました。3年ほど前に亡くなるまでは、取締役宣伝部長としてお客さんに愛される存在でした。

▲今もレジカウンターにはハナちゃんのイラストが
▲今もレジカウンターにはハナちゃんのイラストが

「散歩をしていると若い女性から『いざわのハナちゃん』『ドラッグのハナちゃん』と、よく声がかかって、みなさんからかわいがってもらっていましたね。ですがある時気づいたんです。誰も『化粧品店のハナちゃん』とは言わないなって。その頃はドラッグストアがたくさんできて、化粧品専門店はうちだけでしたから、世の中から“化粧品店”という言葉が消えちゃったのかと思いました。言葉が消えるってことは実態も消えてしまう。そう思ってわざわざ店名に“化粧屋”という言葉を入れて看板を作り直しました。それからは『化粧品屋さんのハナちゃん』と呼ばれるようになりました。ドラッグストアではなく化粧品店という言葉を取り戻せたのはハナのおかげだと思っています」

「“百聞は一見にしかず”と言います。でも“百見は一験にしかず”です。いざわを通りすがりに百回見るより、一度きちゃり〜!」
化粧屋いざわ 井澤元博

化粧屋いざわ
北九州市小倉北区魚町1-2-16
TEL:093-521-2081
営業時間:11:00〜19:30
定休日:火曜

取材・文/写真:岩井紀子

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