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小倉まちなかコラム

旦過火災から2年を経て再オープン。100年続く酒屋を守り抜く【中野酒店】

▲店主の中野正雄さん(左)、お兄さんと一緒に
▲店主の中野正雄さん(左)、お兄さんと一緒に

2022年の4月と8月に旦過市場周辺を襲った大規模火災。小文字通り沿いの魚町グリーンロードで酒店を営んできた中野酒店も、1度目の火災でその被害に遭いました。かつての面影を失いながらも復興を遂げるこの地区に中野酒店は新たなビルを再建、2024年6月に100年続くその歴史を再び前へと進め始めました。

大正11年創業。祖父の代から続く老舗酒店

真新しいビルの奥にオープンした中野酒店。火災前と比べると店は狭くなったものの、明るい店内には3代目の店主・中野正雄さんと奥様、息子の浩輔さんが忙しく働く姿がありました。

中野酒店は正雄さんの祖父・万作さんが1922(大正11)年、馬借で酒店を開いたのがはじまり。元々大分出身の祖父が小倉で店を開いたのは、若かりし頃の祖父の家出にきっかけがありました。

「祖父は東京で学問がしたくて汽車に乗って家出をしたんだけど、門司港に住む親戚に捕まってね。そのまま門司港で親類が営む酒販店「池亀酒造」で奉公をすることになったそうです。そこで酒の勉強をして、大正10年の夏頃に独立して小倉で店を開くことを計画。ちょうどその頃、今はワイン専門店で有名な『古武士屋』さんが馬借に店を開くというのでその手伝いをしてから、翌年、自分も馬借(現在の政宗刃物店の場所)に中野酒店を開きました。現在店がある場所には池亀酒造が持っていた料亭かなにかがあったそうで、1936(昭和11)年にそこを買って、今の場所に移転したと聞いています」

1957(昭和32)年には卸売と小売を分離し、浅野に開いた卸専門の中野商店を祖父が、元々あった中野酒店は小売専門店として正雄さんの父親・英彦さんが営んでいきます。

当時の中野酒店は木造建てで、従業員も一緒に住んでいました。ここで生まれ育った正雄さんの記憶には、当時の店の様子が今も残っています。

「店の入り口にはカウンターがあって、その奥にある樽からお酒を出す角打ちをやっていました。角打ちというと、今は瓶からそのまま出すのが普通だけど、当時はいろんな樽のお酒を混ぜ合わせておいしいお酒にするのが酒屋の腕であり、角打ちの醍醐味でした。店の奥には6畳ぐらいの部屋があって、そこに近所の店主さんたちがいつも上がり込んで呑んでいるような感じでしたね」 組合の理事長などを務めていつも忙しくしていたという父親を、正雄さんは「新しい物好きで利き酒が上手だった」と話します。

▲父・英彦さん(右端)は、作家の司馬遼太郎氏(中央)と戦友だったそう
▲父・英彦さん(右端)は、作家の司馬遼太郎氏(中央)と戦友だったそう

「木造の店をビルに建て替えて、ウイスキーやワイン、リキュール、スピリッツなど、珍しい洋酒もたくさん扱っていました。洋酒のミニチュアボトルを揃えたり、外国のビールを展示したり。利き酒会でおいしいお酒を見つけてくる腕もありました。祖父が80歳で亡くなった頃、希薄になっていた池亀酒造とのつながりを復活して卸もするようになり、『池亀会』という会を作ってほかの酒屋に池亀の商品を卸す窓口にもなっていました」 中野酒店で使われていたオリジナルの包装紙や袋も、文化的でアイデアマンだった父・英彦さんが作ったもの。ずっと受け継がれていましたが、旦過の火災で全て消失してしまったと、正雄さんは残念そう。いつか復活して欲しいものです。

酒店を長く続けていくために

現在の店主である正雄さんは、大学卒業後大分県・中津の寿屋で働いていましたが、25歳の頃に実家に戻り、中野酒店で働くようになりました。

父と一緒に働く中で正雄さんが取り組んだのは、売り上げや在庫管理のためのコンピューターの導入。商品の販売及び仕入れの単価、数量、容量、販売金額などを帳面に記入したり、集計したりという手間のかかる作業をなんとか効率化したいと考え、寿屋時代に触れていたコンピューター化を実現しようと試みたのです。 「日専連のコンピューター課の方に協力してもらい、システム会社にゼロからシステムを作ってもらいました。店の営業が終わってからソフトを調整し作り直す、の繰り返しでしたね。予定よりも1年くらい長く時間はかかったけど、在庫管理や売上管理がずいぶん楽にできるようになりました。今みたいに全部の商品にバーコードがつくなんて、当時は思ってもみなかったけど、いち早くコンピューター化できたのはよかったと思います」

▲火災前の中野酒店。その品揃えから、お客からの信頼も厚かった(中野酒店提供)
▲火災前の中野酒店。その品揃えから、お客からの信頼も厚かった(中野酒店提供)

種類販売免許が事実上自由化された2001年以降は、スーパーやドラッグストアなどでも酒類が販売されるようになり、中野酒店のような店にとっては厳しい時代に入ります。実際、中野酒店から独立していった元従業員たちの店のほとんどが、商売がうまくいかなくなったといいます。

「あの頃は生き残るのが大変な時代でした。ただ、うちの場合は価格競争ではなくお客さんのために一生懸命おいしい商品を探し出していこうという気持ちだったので、日本酒もおいしいものが揃っていたし、いち早くイタリアワインなんかも揃えていました。

この仕事の1番の楽しさは、やっぱりおいしいお酒に出会った時ですね。新しい感覚に出会った時の興奮は、仕事を続けていくパワーになります。思えば父が世界中の珍しいお酒を仕入れていたのも、同じようにおいしいお酒との出会いが原動力になっていたのかもしれませんね」

自信を持って進められるお酒のセレクトにこだわる中野酒店の現在のおすすめを伺ってみました。

▲昔ながらの生酛(きもと)造りで仕込まれた大七は中野酒店のイチ押し商品のひとつ
▲昔ながらの生酛(きもと)造りで仕込まれた大七は中野酒店のイチ押し商品のひとつ

「日本酒なら福島の大七酒造。これは蔵元に直接お願いをして仕入れているものです。焼酎でいうと鹿児島の「三岳」もいいですよ。最近扱い始めたのは、筑後の西吉田酒造の商品です。フルーティな麦焼酎『つくし』のほか、クラフトジンや梅酒もおすすめです」

店も自宅も失った火災「創業100年で潰すわけにはいかない」

▲火災直後の様子(中野酒店提供)

「建物は残っていたけど、電気の配線を伝って火が回り、中は何もかも溶けてしまってひどい状態でした。火災が起きた時、火の気を感じて消防に通報した後、消化器を持って火元に駆けつけたけど、すでに屋根から火が噴き出している状態で。消防隊が到着したのを見て自宅に帰ろうとしたのですが避難するように指示されて、結局何も持たずに焼け出されてしまいました。あの日は朝方が寒くてね…。

そのあとは、知り合いが貸してくれた空き家に身を寄せ、店の向かいの空き店舗を借りて、大火を免れた商品を売ることができました。お客さんに『これからどうするの?』と聞かれても返答のしようがない状態で、つらかったですね」

店を続けようと物件を探してもなかなかいい場所が見つからず、知り合いの不動産会社の紹介で、紺屋町の大橋酒店の倉庫を借りることができたのは8月。そこで細々と配達業務だけを再開し、取り壊したビルの跡地での再建を考えていた矢先に、旦過で2度目の火災が発生。ビルの跡地はがれき処理に使われ、結局12月までは再建に向けて動くことさえできませんでした。

それでも祖父の代から続いたこの土地を手放す気持ちはなかったといいます。

「もう一度この場所で商売をすることは、自分たちのためというより、息子の代まで残したいという思いが強かった。火災の年がちょうど創業100年目。100年目で潰すわけにもいかないという思いもありました」

▲創業100年を記念して、北九州市から感謝状が贈られた
▲創業100年を記念して、北九州市から感謝状が贈られた

周辺一帯が更地となり、土地の測量からスタートした店の再建は、建設資材の高騰などもあり決してスムーズなものではありませんでしたが、2024年6月、ようやく新しいビルでの営業の再開に漕ぎ着けることができました。

新しい店舗の1階の一部は、同じく被災した「まなこ花店」に貸し、中野酒店はビルの奥に構えることとなりました。店の広さは以前の1/3程度となり、取り扱う品数を減らさないといけないという葛藤もあったといいます。

「それでも、まずは火災後も付き合ってくれたお得意様のことを大事にしないといけない。そのお客さんたちがいなかったらもう商売はやめていたと思うから。2年近くの仮営業では店頭売りができなかったので、祖父の代から続けてきたおいしいお酒をお客さんに飲んでもらうことも、頑張っていきたいと思っています」

▲人気の高いサントリー山崎の入荷待ちの時は、店にお地蔵さまが飾られています
▲人気の高いサントリー山崎の入荷待ちの時は、店にお地蔵さまが飾られています

「再開した店で今後どうやっていくのが正解か、まだ正直わからないんです」と漏らす中野さんですが、小さな酒屋として、提案型の販売を続けていこうと考えているといいます。

「数で勝負できない中で、何を強みにするか。うちができるのは、“お客さんをよく知って提案する”という方法しかないと思っています。商品知識を増やして、お客さんの好みを見分ける目を持つことが必要になってくるだろうと思います。『こんな時にはこんなお酒はどうですか』と相談に乗れるような、お客さんに信頼される酒屋になっていかないといけないと思っています」

「生き残れれば正解。そうすれば50年100年と生き続けていけると思う」と話す中野さん。祖父の時代から蓄積された商品知識をフル活用しながら、新しい商品も発掘し、積極的に提案していく。これからは息子の浩輔さんの活躍に期待しつつ、中野酒店としての正解を探していきたいと話します。

▲家族の期待を背に仕事に励む息子の浩輔さん
▲家族の期待を背に仕事に励む息子の浩輔さん

新しく建て替えたビルには、以前と同じ「中野ビル」ではなく「魚町グリーンビル」という名前がつけられています。そこには、ビルが建つアーケード名「魚町グリーンロード」を再生したいという思を込めました。

「この地域のみんなで頑張っていこう! という思いを込め、新しいテナントにも入ってもらって魚町グリーンロードの住民を増やしたいと思っています。この新しいビルを再生のシンボルに、ここから新しい発信ができたらいいなと思っています」

「祖父の代から100年続いた店。時代に合わせて継続し、次の世代に残すことがいちばん」
中野酒店 店主・中野正雄

中野酒店
北九州市小倉北区魚町4-2-4
TEL:093-521-1203
営業時間:9:30〜21:00
定休日:日曜
SNS: Facebook


取材・文/写真:岩井紀子

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