魚町銀天街のなかで唯一残る刃物店倉一文字。まだこの通りにアーケードがかかるずっと前、1930(昭和5)年に創業した老舗です。「魚町という地名のまちですから、きっと当時は魚を扱うお店がたくさんあって、それで包丁のニーズもあったのだと思います」と話す店主の泰松 牧子さんは、祖父が開いたこの刃物店を継いだ父親が4年前に亡くなった後も、店を閉めることなく変わらずにこの地で営業を続けています。
職人も通う刃物専門店ならではの品揃え

店内に入ると、包丁やナイフ、はさみや彫刻刀など、ありとあらゆる商品が所狭しと並んでいます。いちばんに目が行くのはやはり包丁の品揃えの豊富さ。家庭向けの包丁だけでも何十種類も並んでおり、奥にあるショーケースには倉一文字の店名が刻まれたプロ向けの本格的な包丁がずらり。和包丁は堺市、洋包丁は関市と、刃物の特産地で職人の手によってつくられた、質が高く本格的な手打ち包丁が揃います。
「直接手にとって選んでいただけるところが量販店とは違うところでしょうか。使う方の好みも色々なので、用途などをお聞きして、手に馴染むかどうか、重さのバランスなども確かめていただいた上で、しっくり合うものをご購入いただけます」

飲食店や鮮魚店などプロ向けの商品も揃えているため、遠方から訪れるお客もいるといいます。
「最近では刃物をつくる職人さん自体が減ってきていて、昔のように本職向けの商品をつくるところも減り、だんだん店でも揃いづらくなってきました。今ある在庫がなくなれば、もう提供できなくなるという商品もありますね」
その流れは包丁に限らず、例えば裁縫用の裁ちばさみや糸切りばさみ、手作業で目立てしたおろし金など、繊細な手仕事でつくられる商品も手に入りにくくなっているという。だからこそ倉一文字で「ようやく見つけた」と喜んで帰るお客もいるといいます。

以前は店に研ぎ師もいたため、メンテナンスに訪れるお客も多かったそうですが、その職人も引退してしまい、一時は刃物の研ぎを受けていない時期もありました。それでも要望が多く、今はできる範囲で研ぎや修理の依頼を受けている状態だそう。
「私自身もかつていた研ぎ職人から学んだことを活かして研ぎや修理もやっています。みなさん困っていらっしゃるので、できるだけやってあげたいという思いはあるのですが、はさみなんかは研ぎ損ねると使いものにならなくなるので、本当にできる範囲での対応をしている感じです」
「無理をせず自分にできる範囲のことを」という姿勢は泰松さんなりのプロ意識。切れ味は刃物にとって大切だということを知り、使い手のことを思うからこその対応なのだと感じます。
昔ながらの商品を探し求めるお客のよりどころ

長年、魚町銀天街で商いを続けている倉一文字だからこそ、さぞかし常連客も多いだろうと尋ねてみると、「意外と『昔から商店街は通っているけど初めて入った』というお客さんも多いんですよ。店に入ってみていろいろなものがあることに驚かれます」と泰松さん。
それもそのはず、店内には包丁類に加え、アウトドア用の各種ナイフ、園芸用の剪定ばさみや高枝切りばさみ、手芸用のはさみ、彫刻刀などの刃物類のほかにも、昔懐かしいアルミ製の湯たんぽや急須、台所周りの生活雑貨からペット用品まで、ありとあらゆる商品が揃っています。
「急須の茶漉しだけ、持ち手だけが欲しい人なんかもいらっしゃって、どこを探しても欲しいものが見つからなかったけれど『ここにあった!』と喜ばれることも多々あります。探し物があるときはまずうちに来る、というお客様も多いですね。うちのように生活用品の細々したものを扱っている店は、昔に比べ少なくなりましたからね」

取材中にもひっきりなしに商品を探すお客が訪れ、問い合わせ電話も次々にかかってきます。なにかの代用品として「これがちょうどいい」と魚の骨抜きを購入される人の姿もありました。
「皆さん欲しいもののイメージはあるんですけど、それ自体の名前がわからなかくて見つけられない、ということが多いですね。道具の名前を知らずに『昔からあるこんなの』っていう感じで尋ねられるので、用途を聞いて『これですか? あれですか?』って聞きながら目的の商品を言い当てるみたいなことが多いです。たとえば〈やっとこ〉という工具が欲しいと言われてもいろんな種類があるので、その方が何に使われるのかを聞いて、一緒に見つけ出す。それで見つかったら喜ばれるし、答えが見つかったときはこちらも嬉しいですよね」

あらゆるものを揃えているのは、必要とする人、困っている人の役に立つため。先代から続くこの品揃えの多さには、そうした店主の思いが込められているのでしょう。
代々続く店を、できる範囲で守り続ける
祖父、叔父、父と続く倉一文字の歴史を担う泰松さん。父親が3代目を継いだときにはまだ中学生で、「古い店だなぁ」という印象しか持っていなかったといいます。幼少期もままごとよりもなにかをつくったりする方が好きな子どもだったため、父の仕事を手伝うようになると、さまざまな道具に溢れた店に興味が湧き、段々と商品の知識も増やしていったといいますが、「これだけ商品が多いから、一人前にお客様のお相手をするには少なくとも5年はかかる」と、その大変さを振り返ります。
研ぎで持ち込まれる、ほかの店で買った包丁を見るたびに「うちはいいものしか扱っていないんだな」と実感してきたと話す泰松さん。かつて研ぎ職人がいた頃は、地元の有名寿司店の料理人などの常連もおり、年中無休で営業。小倉のまちになくてはならない店のひとつだったことが伺えます。

そんな店だったからこそ、父親が亡くなった直後は「辞めるわけにはいかない。なんとか続けていくしかない」という思いで従業員の力を借りながら手探りで営業を引き継ぎました。とはいえ、研ぎ職人も引退してしまった今は、この店を必要とするお客のために、今ある商品を、できる限りの範囲で提供していくことをいちばんに考えているといいます。
「お客様に不便をかけることもありますが、『ここがなくなったら困る』と言ってくださる方もいるので、手に負える範囲で背伸びをせずにこの店を続けていけたらいいと思っています」
「できる範囲で、細く長く、このまちで続けられるように」
倉一文字 泰松 牧子
倉一文字
北九州市小倉北区魚町2-3-24
TEL:093-521-0295
営業時間:10:00〜17:00、金曜のみ11:00〜
定休日:火、土曜
取材・文/写真:岩井紀子