味のあるガラス戸越しに見えるさまざまな酒瓶、そして杉玉。ちゅうぎん通りの北の端、JRの線路沿いにある林田酒店は、1933(昭和8)年に創業した歴史ある酒店です。父親が営んでいたこの店を継ぎ4代目店主を務める林田直子さんは、母方の実家である京都郡みやこ町の「林龍平酒造場」がつくる日本酒「九州菊」「残心」をメインに、おいしい日本酒をたくさんの人に知ってほしい、飲んでほしいと精力的に活動する人物です。
アメリカの大学院でMBA(経営学修士)を取得、カリフォルニアの監査法人に勤めながらUSCPA(米国公認会計士)の資格もパスし、現地で会計監査人としてキャリアを築いていた林田さん。その経験とスキルを、愛する地元・小倉でどう生かしているのか。お話を伺いにいきました。
海外からも注目される日本酒「九州菊」「残心」
JR小倉駅にもほど近い林田酒店は、地元民のみならず県外や海外からの旅行客がお土産を求めて立ち寄るような、気軽に入れる酒店です。九州土産として人気の高い日本酒や焼酎、外国人旅行客が喜ぶジャパニーズウィスキーなど、幅広く取り揃えています。
なかでもそのラインナップの中心となるのは、林田さんの母親・法恵さんの実家でもある「林龍平酒造場」がつくる日本酒「九州菊」シリーズと、プレミア米を使った少量生産の日本酒「残心」です。
これらをつくっている「林龍平酒造場」は北九州市南部に接する京都郡みやこ町犀川崎山にある、京築エリアでは唯一残る造り酒屋です。江戸時代1837年に創業したこの酒蔵で「九州菊」が生まれたのは1935昭和10)年のこと。現在は林田さんのいとこが酒蔵を引き継いでいます。
酒造りに使うのは英彦山からの伏流水と 酒米の王“ともいわれる”山田錦など。すっきりとキレがあり、すっと広がる香りと味わいが特徴です。
「残心」はJR九州のクルーズトレイン「ななつ星 in 九州」のドリンクリストにも採用されている銘酒。その名前は武道の心構えからきており、「技を終えた後も心が途切れない」という状態を表す言葉通り、米の甘みや旨みの余韻を楽しめる酒となっています。林龍平酒造場には、剣道場「犀川練心館」が併設されており、剣士の育成にも努めており、その精神性がお酒にもあらわれています。
角打ちも楽しめる店内では、「九州菊」や「残心」を中心に利き酒を楽しめ、最近ではその評判を聞いた外国人観光客も多く訪れるとか。
「杜氏さんたちが本当に一生懸命つくっている姿を間近に見ているんで、来てくれたお客さんには『ちょと飲んでみてん、そうとうおいしいよ』『これも今の季節のお酒ですよ。飲んで行き』って、ついつい色々勧めてしまいます。みんな『最高!』と言って帰ってくれるのでうれしいし、楽しいですよ」と林田さん。
自らのことを「酒屋の息子を父に、酒蔵の娘を母に持つ私は、“日本酒のサラブレット”」と称す林田さん。子育ての合間を縫って店に立ち、お客の好みを聞きながら極上の一本を選んでくれます。飾らない人柄と誰とでも一瞬にして距離を縮めるコミュニケーション力でおいしい酒を勧められれば、飲まずに、買わずにいられなくなるのも頷けます。
父に導かれ、渡米し公認会計士へ
そんな林田さんは、かつてアメリカで公認会計士としてバリバリのキャリアを歩んでいました。東京の大学の英文科を卒業後、アメリカの大学院へと進学した林田さん。その経歴を築くまでには父親・正義さんの影響が大きかったようです。
「大学時代、父が時々新聞の切り抜きを送ってくるんですよ。それがMBAとかCPA、USCPAとか、行政書士や司法書士関連のものだったんです。それを見て『これなんやろ?』って自分で調べて興味を持って、とりあえず大学に通いながら簿記の学校に行き始めたんです。姉たちが医大に6年間通っていたこともあって、『会計士か税理士になるので、卒業後あと2年間猶予をください』と両親にお願いしたら、『英文科に通ってるんだからアメリカでその勉強をした方がいい』と父が言い出して。それなら行ってきます、とアメリカの大学院に進みました」
娘を思う父に背中を押され、ボストンの大学院経営学課で会計学を専攻し、無事MBAを取得。その後もアメリカで働くために就職活動をし、カリフォルニアの監査法人に入り就労ビザも手に入れた林田さん。働きながらアメリカの公認会計士資格も取得し、順風満帆な日々を送っていました。
そんな中でも林田さんが楽しみにしていたのが小倉祗園太鼓です。
「アメリカで働いている時も、金曜の飛行機に飛び乗って関空から新幹線に乗れば、時差の関係で土曜の夜9時には小倉に帰って来れるんです。当時は夜の11時まで太鼓を叩けたので、母が用意してくれた浴衣にサッと着替えて2時間太鼓を打っていました。町内のみんなが『直ちゃんおかえり、叩き叩き』って言ってくれて、日曜までフルで太鼓を叩く。それで私の夏はハッピーでしたね。小倉祇園は私のアイデンティティです」
そんな地元愛の強い林田さんが小倉に帰ってくるきっかけになったのは、アメリカでの生活が12年近くなった頃、父親の体調不良の知らせでした。
帰国するにあたり、当初は東京で働くことも考えたといいますが、東京で狭い住居に高い家賃を払いながら1時間以上かけて通勤しながら公認会計士の仕事を続けるよりも家族がいる小倉で暮らす方が断然いいと思った林田さんは、2010年、34歳の時に小倉へと戻ってきました。
火の車だった家業を一から立て直す
実家に帰ってきてみると店は倉庫状態で経営もいい状態ではありませんでした。根本から見直して、キャラクターがある、強みのある商品を売っていこうと決めました。
「小倉駅に近いこともあり、お土産物としてお酒を買っていただく場所として、女の人でも入りやすく、お土産物があり、試飲もできて相談しやすいオープンな店を目指しました。和モダンをコンセプトに、蔵から酒造りで使っていた桶や柄杓、などの道具など持ってきてディスプレイしています」
清酒に力を入れつつも、九州の入り口という目線で焼酎なども揃える店へと様変わりし、今では地元客だけでなく、観光で訪れる人も多く訪れます。
小倉に帰ってきた林田さんは、そもそも日本なのになぜ日本酒を飲まない、売れないのか?という疑問を持ち始めます。 「飲食店でも、メニューに清酒、冷酒としか書いていない店が多いことが衝撃でした。今みたいに旅行客のニーズをみて地元のお酒を揃えるという考え方がなく、地域の特色を出すことをやっていない。そこが一番驚きましたね」
林田さんは日本酒を広めるために唎酒師の資格も取得。国内だけでなく、海外にも目を向けその魅力を伝え始めます。コロナ禍で酒販業界が大きなダメージを受けた期間もオンラインで海外との商談を重ね、少しずつ海外輸出の道筋も築いてきました。今年はようやくニューヨークで林龍平酒造場のお酒をリリースすることが決まったそうです。
「今後、国内の日本酒消費人口が減ってしまうことを考えると、私が100歳になるまでには売り上げの半分を海外輸出でまかなわないと厳しいと考えています。継続的に同じ量を輸出できればいいのですが、小さな酒蔵ではそれも難しい。あと13年で200年を迎える林龍平酒造場をずっと元気に続けて欲しいから、自分が元気な間にほんのちょっとずつの努力でも、できることは全部やろうと思っています。向こう100年継続できる基盤つくりが少しでもできたらいいです」
地域に支えられるほど、地元愛が強くなる
「日本酒は日本の“国酒”。なくしてはならない日本の文化」という林田さんは同時に、「日本酒は技術のたまもの」だとも話します。
「ワインだったらブドウの出来によって当たり年がありますよね。でも日本酒の場合は米の状態は関係なく、常にいいクォリティに仕上げるんです。毎年作りが違う米をテストし、表面の硬さなどに合わせて蒸し時間を秒単位で測ってベストなところに持っていってつくる。これは杜氏さんの腕であり、技術以外のなにものでもない。その技術自体がずっと続いていることが奇跡なんです。
こんなに苦労しながら一生懸命つくっているんだから、絶対みんなに飲んでもらわないけん、と思っちゃうんですよね。文化あるところに銘酒ありと言います。福岡にもよいお酒ありますよとみんなに知ってもらいたいです。」
林田さんが「九州菊」と「残心」を自信を持って勧めるのは、林龍平酒造場があるみやこ町の豊かな土地の恵みをぎゅっとひとつに凝縮した奇跡の酒だから。そのおいしさに魅了されたファンの楽しみは、毎年春(3月第1日曜)に行われる蔵開きです。この日は地域の人や地元の農家も応援に駆けつけ、まちの一大イベントとして賑わいます。
「今年は1日で3,500人以上の方が来てくださって、農家さんがジビエ汁(猪鍋)やゴボウの天ぷらを出してくれ大賑わいでした。たくさんの方が飲みに来てくださることも、地元の人たちが応援してくれていることも嬉しい。地元に愛されている酒蔵がやっぱり強いと思うんですよね」
こうした地域との強い絆は、長い年月をかけてこの土地で育んできたもの。林田さんは酒蔵の周りに広がる自然を楽しんでもらい、日本酒をもっと身近に感じてもらうために「友遊会」という会の運営にも力を入れています。この会は、父親と先代の蔵元が始めたアグリツーリズム。豊かな自然と食の大切さを体験してもらおうという取り組みです。
「『友遊会』は田植えから稲刈りまで体験し、その米で作った新酒をみんなで飲む、という会。23年前に始めた時は20人ぐらいだった参加者も、田植えは85人で、また、新酒の会は100人で締め切らないといけないほどの人気の会になりました。子どもたちも楽しめるゲームをしたりBBQをしたり、ジャズバンドの演奏を聴いたり。それをきっかけに移住した人もいるほどです」
父親たちの思いの詰まったこの会は、林田酒店と林龍平酒造場が共に地域のことを考えた、地元愛あふれる催しです。まさに“地域と共に生きる” 林田さんたちの思いを形にしたものだといえます。
「日本酒を通じて地域と共に成長する。これが私たちにとっていちばん大切なことだと思います」
故郷で育まれた日本酒を多くの人に飲んでもらいたい。林田さんの挑戦はまだまだ続いていきます。
「小倉は粋なまち。地域と共に成長し、常に動き、変化していきたい」
林田酒店 店主 林田 直子
林田酒店
北九州市小倉北区京町2-3-17
TEL:093-521-2368
営業時間:10:00〜18:00
定休日:日曜祝日
SNS:Instagram(林田酒店)、Facebook(林龍平酒造場)
取材・文/写真:岩井紀子