小倉まちじゅうモール

小倉まちなかコラム

▲小倉かまぼこ4代目・森尾泰之さん

最高ランクのすり身と職人技100年続く手づくりの味【小倉かまぼこ旦過店】

2度の火災を乗り越え、再び営業を再開

旦過市場でもお馴染みの「小倉かまぼこ」は、「天ぷら」と呼ばれる“揚げかまぼこ”が人気の専門店。4月に起きた火災で被災した後、営業を再開するも8月の2度目の火災でも被害を受けましたが、9月には再び元の店舗で営業を再開されています。

「1度目の火災後3か月休業し、やっと営業再開したばかりだったので、2度目の火災が起きた時はとてもショックが大きかったです。全焼も覚悟しましたが、なんとか建物が残っているのを見た時は本当にホッとしました」と話してくれたのは、代表取締役の森尾泰之さん。

1度目の火災の後も、常連様や県外のお客様からの心配や励ましの声に勇気づけられたそうですが、再び店を開けた後にかけてもらった「待ってたよ」「再開してくれて嬉しい」といった言葉に「本当に救われましたし活力になりました」と振り返ります。

店舗は以前のままの佇まいですが、外壁補修や電気の配線なども交換し、漏電などを起こさないようにしっかりと安全対策も行って営業をされています。 スポットライトに照らされたショーケースの中には、今日もおいしそうな天ぷらがずらり。ふっくらとした色白の姿が美しい「白天」、ベレー帽を被ったみたいな愛らしい「椎茸天」、きつね色に揚がった「たまねぎ天」、つぶつぶコーンがびっしりの「もろこし天」。眺めている間にもショーケースを覗き込んでは買い求める人が次々に訪れます。おかずの一品としてはもちろん、ワインや日本酒のおつまみにする人も多いようです。

両隣の店舗も被災し、仮囲いに挟まれる形で営業を再開している
▲両隣の店舗も被災し、仮囲いに挟まれる形で営業を再開している

偶然から生まれた看板商品「カナッペ」

大正9年に創業し、2020年に100周年を迎えた小倉かまぼこは、庶民に愛される味を受け継いできた店。数ある商品のなかでも「カナッペ」は旦過市場の名物としても人気で、この日も揚げたてが次々にショーケースに並べられていました。 人参、玉ねぎ、コショウを練り込んだ魚のすり身を薄いパンで巻いて揚げたカナッペは、外はサクッと、中はプリッと滑らかな食感が魅力。和とも洋ともとれる個性的なこの商品は、60年以上も前から販売されているのだそう! カナッペの誕生秘話について、森尾さんの父で現会長の和則さんに話を聞きました。

遠くからお取り寄せするファンも多いカナッペ
▲遠くからお取り寄せするファンも多いカナッペ

「カナッペの発案者は私の母なんです。当時、丸和の前の路面でも天ぷらを揚げていてたのですが、場所が狭いので食事をとる時は立ったままパンをかじったりしていました。そのパンがなにかの弾みで油の中に入ってしまい、食べてみたらカリッとしておいしくて、試しにすり身を包んでみたら『これはいける!』となった。そうやってカナッペが生まれたと聞いています。油を吸いすぎないようにパンの厚さを調整したり、初期の頃は魚のすり身だけだったらしいんですが、すり身に玉ねぎやコショウを混ぜるようになり、だんだんと改良されていきました。私の代ではコショウをたっぷり効かせてサイズも大きくして、今の味になったんです。

私自身、毎日食べていてもやっぱりおいしいんですよね。だからカナッペを作るのをやめようって気には一度もならなかったですね」

▲3代目の森尾和則さん。「いいものをちゃんとつくっていれば、お客さんが気づいてくれます」
▲3代目の森尾和則さん。「いいものをちゃんとつくっていれば、お客さんが気づいてくれます」
▲揚げたてのカナッペはその場で頬張りたい!
▲揚げたてのカナッペはその場で頬張りたい!

4代目を引き継いだ息子の泰之さんも、子どもの頃からおやつに食べていたというカナッペ。時代を超えて愛される名物を「これからもずっと守っていきたい」と思っているそうです。

プリッとした食感と滑らかな喉越しは最高の素材から

小倉かまぼこの商品の原料となるのは、イトヨリダイのすり身。牛肉に“A5”といったランクがあることは知られていますが、実はすり身にもランク付けがあるのだそう。小倉かまぼこで使っているのは“SAクラス”と呼ばれる最高品質のすり身。随分昔に安いすり身を使ったこともあるそうですが、おいしさや食感、美しさを追い求めると、おのずと最高の原料に行き着いたといいます。

▲カナッペと並んで長く販売し続けているのが「白天」
▲カナッペと並んで長く販売し続けているのが「白天」

「毎朝、その日使うすり身をするんですけど、気温や湿度に合わせて微妙な調整が必要で、それはもう職人の技術なんです。練り物特有のプリッとした食感を出すために、独自の配合で水やでんぷんなどを加え、味見をしてチェックしながら受け継いだ味を守っています」と泰之さん。

仕入業者からも「小倉かまぼこさんほどハイグレードな原料を使っているところはなかなかない」と言われるほどだそう。1つ70円〜200円という手頃な価格で味わえる、最高級の味。すぐにでもその食感と喉越しを味わいたくなります。 泰之さんの代に変わってからは、小倉織のデザインを表現した「SHIMABOKO(しまぼこ)」など、他企業とのコラボレーションや新商品の開発にも力を入れています。

改めて感じた「旦過市場はすごい場所」

旦過市場のルーツは大正初期、神嶽川の川岸で魚や野菜などの売買が始まったことにあります。その後も魚や青果を扱う小売りが増えていき、昭和初期には川にせり出す形で店舗が建てられるようになったといいます。太平洋戦争で市場の一部が取り壊されましたが、戦後すぐに商人たちが集まり、現在の旦過市場の原型をつくっていったそうです。

小学3年生の頃に旦過市場に引っ越してきたという和則さんは、「当時はみんな店の2階に住んでいたので、夜の7〜8時でも店に灯りがついているような状態で賑やかでしたよ。子どももいっぱいいて、いつもみんなで遊んでました。近所に紙芝居がきたりね。最近は新しく入られる方も増えてきましたけど、今も旦過で店をやっている方の2〜3割は当時からいる人ですね」

また、今回の火災を受けて、改めて「旦過市場はすごい場所」だと実感したとも話してくれました。

「被害を知ったたくさんの市民の方々から寄付をいただいて、こんなに愛されているのは、これまで旦過の歴史を作ってきてくれた方々のおかげだと改めて感じましたね。先人たちが作り上げたものを大事に守っていかないといけないなと思います。また、今まで以上に各個店、また商店街全体として防火意識を高めていきたいと思っています」

小倉かまぼこの創業者・森尾伊三郎は、今の旦過市場の基礎作りに貢献した人物だといいます。「我々は今後50年、100年と続くような市場にしていかないといけない」と、和則さんも旦過市場商店街の会長を10年間務め、積極的に市場の改革にも取り組んだそう。その内容は、市場の人々の意識改革から観光客誘致、マスコミ対応、大学生との共同運営の「大学堂」のオープンなど多岐にわたります。最近、若い買い物客が増えてきているのは、そうした努力が実った結果のひとつなのかもしれません。

「いろんな困難もありますけど、旦過市場という“同じ船”に乗った者同士ですからね。期待も大きい市場だと思っているので、みんなでがんばらないといけない時だと思います。今後は再整備も進んでいきます。どんな旦過市場になるのか僕自身も見たいし、楽しみですね」と、和則さんはこれからも旦過市場のために力を尽くしたいと話してくれました。

▲「『手土産はお菓子よりかまぼこの方がいい』と言ってくださる方もいらっしゃいます」
▲「『手土産はお菓子よりかまぼこの方がいい』と言ってくださる方もいらっしゃいます」

今後の小倉かまぼこについて尋ねると、息子の泰之さんについて「あまり背伸びをせずに、地に足をつけて商売をしてほしい」と優しい父親の顔も覗かせてくれた和則さん。代々受け継がれ、進化も続ける老舗はこれからも旦過市場と共に歩んでいきます。

「毎日食べてもおいしい、いい商品を作り続けていきます」
森尾泰之

取材/撮影:岩井紀子

小倉かまぼこ旦過店
北九州市小倉北区魚町4丁目2-19
TEL:093-531-5747
HP:小倉かまぼこ

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