小倉まちじゅうモール

あのころコラム ひとむかし あの頃を知っている小倉マスターに聞きました。

井筒屋ひとむかし

新しいものを次々と取り入れながら
賑わいと活気、そして夢を生み出す百貨店

●お話を伺った人
中村眞人さん(昭和18年生まれ)/株式会社井筒屋 名誉顧問

▲井筒屋の社長を務め、現在は名誉顧問の中村眞人さん

街なかに住む子どもにとって井筒屋は遊び場だった

路面電車の線路沿いに昭和11年にオープンした井筒屋。いつの時代も小倉に新しい風を届けてくれる街のデパートとして愛されてきました。

屋上遊園地、噴水広場、お子様ランチ、エレベーターガール、いづつや饅頭、からくり時計…。記憶に残る風景とともに思い出されるのは、デパートならではのワクワク感です。

子どもの頃から井筒屋のご近所に住み、井筒屋に就職、社長まで務めた中村さんにとって井筒屋はどういった場所だったのか伺ってみました。

「京町3丁目、ちゅうぎん通りに住んでいたので、子どもの頃から井筒屋は遊び場でしたね。いま『ルイ・ヴィトン』の横にあるエスカレーターのところに、昔は中央階段があってね。そこの踊り場でメンコをして遊んだり、屋上の遊園地でかくれんぼをしたり。まさに生活の一部でした。子どもの頃は勝山公園のあたりが全部、米軍のキャンプでね。紫川沿いの石垣が真っ白にペンキで塗られていたのを覚えています。高校時代は紫川でボートに乗ったりしていましたね」

大学卒業後、井筒屋に入社した中村さんは、その当時の様子をこう振り返ります。

「僕が入社した昭和40年代初頭は、まだ既製品の種類が少ない時代でした。僕は婦人カジュアル売場に配属されたのですが、その頃は生地を選んで、マネキンが着ている服を見てイージーオーダーするのが大人気でした。売場にはデザイナーの先生が4、5人いましたよ。プレタポルテは森英恵さんのブランドくらいでした」 その時代の井筒屋の花形といえば1階の紳士用品のネクタイ売場だったのだそう。エレベーターガールもいる、華やかな時代でした。

小倉記念病院跡地まで本館を大増築

井筒屋は、開業以来幾度かの増築を行ったのち、昭和48年大規模に建物を増築。それが現在の本館です。

「隣に建っていた小倉記念病院のところまで本館を広げて、売場が倍増しました。ちょうどオイルショック後の好景気もあって、紫川の向こうにあった玉屋さんと差がついた時期です。 その頃配られていたお中元やお歳暮のカタログがおしゃれなデザインでね。その時の宣伝部長が非常に美的センスのある人で、いまの正面玄関横のシャッターの絵も、その人の仕事です」

大盛況だった「黄金のエジプト王朝展」

井筒屋での仕事の中で、印象に残っていることを伺うと、営業推進部の部長(今でいう宣伝部)時代に手掛けた企画展のことを真っ先に語ってくださいました。

いちばん面白かったのはちょうど50周年(平成3年)の時にやった『黄金のエジプト王朝展』。エジブトのカイロ博物館まで調査に行きましたよ。当時の金額で1億の一大催事でした。目玉は高さ3mくらいあるラムセス2世の木棺でしたね。来場者が10万人という記憶に残る展覧会でした。入社まもない頃にやった『ヘビ展』以来の集客でしたね。

▲「『ヘビ展』の時は、外まで伸びた行列の最後尾を知らせる案内板を持っていました」と中村さん

「実現はできなかった企画ですけど『横浜・神戸の元町展』というのをやりたくてね。横浜に行った時に、当時から人気だったベーカリー『ポンパドウル』に飛び込み営業して、昭和61年に地方第一号店として呼ぶことができました。あの時は『フランスあんぱん』に長蛇の列ができましたよ。

それに『ルイ・ヴィトン』も九州第一号店は井筒屋です。当時はいまほど北九州と福岡の差がなくて、小倉に1番に出店する店も珍しくありませんでした。それだけ街の力があったんです」

街と共にある百貨店は“夢のある場所”

その後、平成10年に新館が、平成12年には「小倉リバーサイドチャイナ紫江‘S」(現在の紫江‘S)が開店します。

「新館は、平成2年にできた小倉そごうに対抗して、若者をターゲットとしてオープンさせました。紫江‘Sができた時は『チャイナドレスコンテスト』をやりましたね。毎回200〜300人もの参加があって、小倉の街をチャイナドレスの人が闊歩していましたよ」

小倉そごう、小倉伊勢丹の撤退後、空きビル化していた小倉駅前に、コレット井筒屋をオープンさせたのが平成12年(平成31年に閉店)。井筒屋は創業以来、市民の暮らしに密着する小倉の百貨店であり、街の活性化、魅力づくりに欠かせない存在でもあります。 「コレットはね、そごう、伊勢丹が抜けた後に駅前の巨大な建物が空きビルになっていてはダメだと思い、賛否はあったけれども継承することに決めました。地方百貨店というのはね、街に魅力がなければデパートもダメになる、共存関係なんです。だから街を活性化しないと百貨店も生きていけないんですよ」

最後に、これからの井筒屋に期待することを伺いました。

「百貨店は夢のある場所。そこで買い物をすることがお客さんにとって誇りに思えるような場所でないとね。そのためには社員も誇りを持って働いていないといけません。社員が夢を持って未来を考えられるような百貨店であってほしいですね。 子どもの頃にやっていた魚町のえびす市は、人が通れないほどすごい賑わいでした。あの頃の賑わいを小倉にもう一度蘇らせたいですね」

井筒屋 北九州市小倉北区船場町1-1