小倉まちじゅうモール

あのころコラム ひとむかし あの頃を知っている小倉マスターに聞きました。

黄金市場商店街ひとむかし

市場から始まった黄金市場商店街はこの街の文化
生活に根付き、心に残る商店街として生き続ける

●お話を伺った人
鈴木孝雄さん(昭和16年生まれ)/肉のワールド

▲昭和52年から黄金市場で精肉店「肉のワールド」を営む鈴木孝雄さん

小さな市場がだんだんと成長し、活気ある商店街に

黄金市場商店街は、戦前にできた市場が発祥と言われています。昭和9年頃ごろに現在の市場周辺に商店が集まり市場が形成されました。

戦後になると周辺に住宅が増え、それに伴い商店数も増加。地域に密着した商店街として急速に拡大していき、昭和30年代には多くの買い物客で賑わう小倉を代表する市場のひとつに成長しました。

昭和40年代後には近隣に出店したスーパーマーケット「ユニード」に対抗するべくアーケードを設置。食卓に欠かせないものすべてが揃う市場の人気は衰えることはありませんでした。 「今のメインアーケードから3号線に向かって伸びる通り(『ワールド』と『花葉』の間)がいちばん最初にできた市場です。(それに並行してできた)西側の通り周辺は『新市場』って言っていたね。いまは3代目が頑張っている『活魚のおかだ』さんは、黄金では1番古い店やね」

▲商店街の競合であるスーパーマーケットが出店しても、最初のうちは共存していたという

買い物をする場所といえば、商店街が当たり前の時代

鈴木さんが黄金に店を開店したのが昭和52年。その頃の黄金市場はどんな様子だったのでしょうか。

「どこも繁盛していたし、当時は空き店舗なんて1軒もなかったね。その頃は店が全部で23店舗くらいあって、35歳の私がいちばん若手だった。みなさん元気がいい人ばっかりだったですよ。

すでに(3号線を挟んだ)前にスパーマーケットの『ユニード』が開店していましたから、市場としての最盛期は過ぎていたのかもしれない。それでも黄金市場といえば、旦過市場に次ぐくらい小倉でも賑やかな商店街でしたよ」

現在は「餃子の王将」がある場所には「マルショク」が出店するなど、周辺にスーパーが増えてきても、黄金市場は変わらず賑わっていたといいます。

「今はもうないけど、豆腐屋さん、天ぷら屋さん、味噌屋さん、漬物屋さん。店はやっぱり鮮魚や生鮮食品関係の店が多かったですよ。食卓に並ぶあらゆるものがここで揃いよったね。 当時はまだ消費者が市場に慣れているからね。買い物をするといえば市場だった。徳力とか曽根とかからもお客さんが買い物に来られてね。南区の方には大きな市場がほとんどなかったからでしょうね」

ひとつ屋根の下、力を合わせて商店街に賑わいを

平成元年にはアーケードを改装。同年に始まったポイントシール「こがねサンシール」(シール会)は、黄金市場独自のサービスとして現在も続いています。今のアーケードが完成した時は派手に落成式をしましたね。商店街組合も活気があって、勉強会をして買い物額に応じてシールを配る「こがねサンシール」を始めました。集めたシールを台紙に貼って、何冊集めたら景品をもらえるという仕組み。お客さんも喜んでくれましたよ。景品はハワイや北海道、沖縄、香港旅行にご招待とか。大相撲観戦の時は、ちょうど若貴時代だったから盛り上がったね。旅行に行くには何冊もシールを集めないといけないけど、それでもお客さんはみんな、一生懸命集めていましたよ」

▲近隣住民の楽しみのひとつだったふれあい夜市の様子

黄金市場といえば、お祭りのように賑わうイベントも盛んなのが特徴です。子どもたちから高齢の方までに愛され、今も昔も地域になくてはならない存在といえます。

「先日もアーケードの中でバーベキュー大会をして大盛況でしたよ。節分には豆まきイベントをしたり、七夕には笹飾りを飾ったり。地域の子どもたちとの関わりも深いです。コロナ前まで毎年やっていた『ふれあい夜市』なんかは、アーケードを埋め尽くすくらいの人出で、みんな楽しみにしてくれていたね。子どもたちが喜ぶイベントは大人になっても思い出に残るでしょ。“地域に密着”。それは黄金のいちばんいいところ」

「市場というのはひとつ屋根でしょ。昔はみなさん店の2階に住んでいたから一緒に銭湯に行ったり、お土産をもらったら近所におすそ分けしたり、赤ちゃんが生まれたらみんなで子守りした、連帯感がありました。いい時代だったね。でも黄金は昔からみんな横並びのいい関係ができている。だからシール会やイベントみたいな各商店の協力がないとできないことを、今もずっと続けられるんでしょうね」

街の文化としての商店街をこれからも

店主の高齢化や後継者不足など、商店街ならではの問題も抱えつつ、黄金市場商店街では、空き店舗への出店サポートをするなど、新規店の呼び込みにも積極的に取り組んでいるそうです。

また、時代と共にお客さんの層もだんだん変わってきたといいます。

「お客さんから『子供の頃、お母さんに連れられてよく来よったんよ』とか『大将も元気だったのね』って言ってもらえたりするから嬉しいね。まだまだ頑張らないといかんなと思います。

昔と比べると、どこの商店街も飲食関係の店が増えてきました。市場としては物品販売の店が増えて欲しいけど、どうしてもスーパーやデパート、大型店に足が向いてしまうから仕方ないけどね」

▲「うちは後継ぎがいるからまだまだ先まで仕事ができる。それはやりがいもあるし、幸せですよね」と鈴木さん

「この町からこの市場がなくなったら、地域の活力が落ちると思うんですよ。だから飲食店であっても、若い人に『店を出したい』と思ってもらえる商店街でないといけないと思いますね。市場から始まって商店街ができたんやから、ここは街の文化のひとつ。だから大事に継続していかないとね」

黄金市場商店街 北九州市小倉北区黄金一丁目