小倉駅から商店街に入り吉野家の角を曲がった先、湖月堂の斜め前にある「黒田節」は、京町駅前商店街の中でも古くから続く活魚料理店です。創業から90年は経つだろうという老舗を切り盛りするのは店主の樋上 誠治さん。祖父母から父へと受け継がれてきたレシピを守り、玄界灘で獲れた新鮮な魚を中心に、刺身や鍋料理、天ぷらから定食まで取り揃えています。
はじまりは祖父・祖母が始めた飲食チェーン店
まだ小倉駅が西小倉にあった頃、大門市場の近くに樋上さんの祖父母が「大阪屋」という店を作ったのが小倉で店を始めた最初でした。そこから京町・魚町を中心に、串と鍋物の店「かんざし」、魚すきの「日本橋」、「やぐら寿司」、うなぎ料理の「いづもや」、サラリーマン向けの酒処「黒田節」を展開。それぞれコンセプトの違う料理店を作り、チェーン展開していました。
「祖母に商才があったんでしょうね。小倉で『天ぷらが食べたい』『うなぎが食べたい』『お寿司が食べたい』というお客を、全部うちの店でまかなえるようにと、色々なジャンルの店を作ったんです。店のパンフレットも祖母が手書きで作ったそうです。センスがありますよね。今も店の看板には祖母の書いた字をそのまま使っています」
樋上さんのおじいさまは大阪出身。実家が大阪の黒門市場で川魚屋さんをしており、料理人になったそうです。
「祖父は砂津に朝日新聞の西部本社ができた時に料理長として呼ばれて来て、それがきっかけで小倉に店を出すようになったと聞いています」
当時は店で働く職人もたくさんいて、それだけの店を切り盛りするにはおばあさまの力も大きかったと思われます。岡山の女学校で国語の先生をしていたというおばあさまの、世話好きな一面が垣間見られるエピソードも伺いました。
「祖父母の家に画家の山下清が2〜3ヶ月泊まっていたらしいんですよ。門司港で絵を描いている人がいて、行くところがないと言うので、祖母が『うちにおいで』と言って連れてきたみたいで。うちにも絵がたくさんあったらしいのですが、火事で燃えちゃって全部なくなってしまいました」
自然と選んだ跡継ぎの道
樋上さんは17歳から大阪の調理師学校に通い、そのまま関西で就職。小倉に帰り黒田節で働き始めたのは26歳くらいの時でした。
「その頃はまだまだペーペーですから、僕なんかまだ料理なんか作らせてもらえなかったですよ。当時親父に『お前の作ったものはおいしくない』って言われてショックでしたね。最初はお客さんからも『お父さんと味が全然違う』と言われましたしね。その頃はまだ職人さんも一緒にいたので、父親とがっつり一緒に料理をやったと言う記憶はないんですよね」
飲食店に生まれ育つと、生活のすべてが店中心になるため、家族で一緒にごはんを食べる、家に帰ったら両親がいる、ということがないのがあたりまえ。夜遅くまで兄弟二人きりでさみしい思いをしてきたから、樋上さんは「絶対料理人にはならないと決めていた」といいます。
「それでも店に出入りしていると、お客さんから『跡取り』、『3代目』と言われるんですよ。そうすると、やらないといけないのかな、自分が継がなかったらこれで終わっちゃうのか、とか思ったら、やっぱりこの道に入っちゃいましたよね。
今までなんでも長続きする方じゃなかったけど、いちばん長く続けられているのは、結局、性に合っていたんでしょうね」
自分の家族にはこんな生活は味わせたくないと思っていたのに、同じ道を選んだ樋上さん。
子どもを土日にどこにも連れて行ってあげられないことを後ろめたく思いつつも、今はこうも思うと言います。
「自分の親父と同じことを言ってしまいますね、『こういう環境に生まれたんだから受け入れろ』と。生きていくには働かないといけないと。自分が子どもの頃は理解できなかったけど、親父もきっと今の自分と同じことを思っていたんだなと思いますね。あんなに嫌だったのに、不思議だなって思います」
昔からの味を変えず、続けていくことが大切
黒田節では九州のおいしい魚をシンプルに、ダイレクトに味わってもらいたいと心がけています。また、和食の料理店が減ってきた中で、気軽に立ち寄れる店でありたいとも考えています。
そこには、長年仕入れを任せている鮮魚店の力も大きいのだそう。
「付き合いが長いからこそうちのコンセプトに合わせて、季節ごとにいい魚を持ってきてくれます。自信がある魚を持ってきてくれるからこちらも安心です。長年の信頼関係ができているおかげです」
お刺身や天ぷら、塩焼きなどはあまり手を加えすぎないように。そして料理はもちろん、サラダのドレッシングやマヨネーズ、天ぷらの塩、天だしにいたるまで、できるだけ手作りにこだわっています。
「長いことやっているので『子どもの頃、親に連れてきてもらっておいしかったから、私も子どもを連れて食べに来ました』というお客さんもいらっしゃいます。三世代で来ていただいていると思うと裏切れないですよね。祖父、父がやってきたことを変えないようにやっています」
レシピも創業のころから受け継いだからのもので、仕込みも作り方も何ひとつ変えていないといいます。「お客さんは昔食べた味を求めて来ているので、料理は昔と変わらない味です。レシピもほとんど変えていません。長く店を続けるのにはこれが大事だと思っています」
このまちの中に、いつ来てもある場所は必要だ、と樋上さん。「時代に合っていないかもしれないけれど、時代を追いかけすぎるのも良くない。長く続く店が目印になるまちであって欲しいと願っています」
愛着あるこのまちを、もっと賑わせたい
元々は人見知りで、この仕事を始めてから人と喋れるようになったという樋上さん。「基本的に楽しいことばかりを探している」という人柄は、その柔らかい表情からも伺えます。
楽しみは趣味の早朝野球。一日中屋根の下にいる仕事柄、太陽に当たることが少ないこともあって、外で思い切り動く時間は何よりのリフレッシュなのだそう。
「楽しみがあるから仕事が頑張れる。野球がある日はヘトヘトになりながら仕事をしています(笑)」
そんな樋上さんがここ数年、真剣に考えていることが、小倉のまちおこし。
先日火災で焼失した鳥町食道街も、高校時代によく通った思い入れの深い場所だったと言います。
「小倉のまちに昔ほど賑わいがなくなってしまった。昔はもっと人通りが多かったでしょ。屋台も映画館もなくなって、夜は真っ暗。
大阪に住んでいた頃、道頓堀が遅くまでずっと明るくて、そりゃ人が集まるよねと思ったんですよ。お店を盛り上げる前に、まちに人を来させないといけないと思ったことが、まちおこしに興味を持ったきっかけです。まちなかにスペースはあるのに活用されていない。勝山公園、図書館、リバーウォークなんかもあるのに、小倉城に行くのはお花見の時だけっていうのはもったいないですよ。福岡の大濠公園のような賑わいが紫川や勝山公園でもできないかと思っています」
地元で暮らし、地元で商売を営む樋上さんの小倉への愛着は、今、まちの活性化へと向かっています。
「もちろん、先代たちが作ったものを守っていかないといけないし、お客様も裏切れないです。長い年月の間にたくさんのつながりができたし、この店を目指してきてくださる方がいますから、変わらず、背伸びせずやっていきます」
黒田節という店と、この環境が自分を育ててくれたと話す樋上さん。この場所に愛着を持ち、厳しい時代も頭を使って尽力してきた親を見ているから、この場所はそう簡単にはなくせないと言い切ります。
「父親の、店との向き合い方を見てきて、今でもとても敵わないと思います。真似したくてもできない部分がある。僕も考えてないわけじゃないけれど、集中力、気持ちの注ぎ方がまったく違うんです。だからまだ認めてもらえないんでしょうね」
実はいまだに料理を褒められたことがないと苦笑いする樋上さん。
ですが、名店が次々に暖簾をおろすなか、3代目としてしっかりと黒田節を守り続けていることこそが、先代からの評価なのではないでしょうか。
「この店は生活の中心。この環境に育てられたから今がある」
玄海活魚料理 黒田節 樋上 誠治
黒田節
北九州市小倉北区京町2-6-19
TEL:093-521-7477
営業時間:11:30〜14:00/17:00〜21:30
定休日: 水曜
席:50席(個室、宴会場あり)
取材・文/写真:岩井紀子